毎週さくらちゃんに失恋している

ここ数年、「一定の年齢以上のオタク」をターゲットとするのがオタク業界で流行っている。

実利的である。金を持ち始め最もオタクを満喫している世代の、最もきらめいていたであろう時分。そんなころに発表された名作を引きずり出すのだ。

しかも、世代のオタクにとってそれはただの名作ではない。作品は「思い出補整」という最強のフィルターをまとい、神格化する。「だからこそ」の難しさもあるものの、「一定の成功」という点で見ればこれほど低リスクな作品もないだろう。

カードキャプターさくら』もその一つだ。

当時さくらちゃんと同年代だったこともあり、私の中でもばっちり神格化された作品である。現在連載・放送中の続編が『クリアカード編』だが、これがまた「あの時」の再現が神がかった良作なのだ。

しかし、「あの時」とは異なることも多々ある。その最たるものはやはりさくらちゃんの進学であろう。さくらちゃんは中学生になったのだ。

発表当初こそ「さくらちゃんは永遠の小学生なんだ!」とクッションに接吻しながら喚いていたものの、作画の良さ、従来の世界観を壊さない丁寧なストーリー展開に即オチした。さくらちゃんは相変わらずかわいいし、声優さんたちも変わらぬ演技だし、桃矢お兄ちゃんはレギュラーだ。関智はやはりいい。

しかし、最近は毎週さくらちゃんに失恋している。

小狼くんとの恋愛模様をはじめとしたシーンでどうしようもなく悲しくなり、一時停止して精神を落ちつかせないと続きが見られない。小狼くんにはにゃ~んな言葉を投げかけるさくらちゃんで一時停止し座禅。再生。赤面しあうほえ~な二人で一時停止しラマーズ法。再生。その繰り返しである。

何週間かこんな調子で視聴したのち、直感した。当時を知るオタクはみんなこうなのではないか。

一時停止はしないにしても、少なくとも似た心情なのではないか。何の根拠もない閃きであったが、これまでのオタク人生でそれなりの経験則は得ている。きっと同類がいるはずだ。

そう意気込んで検索をかけたものの、まあ出てこない出てこない。『さくら』関連の言葉に「失恋」「ショック」などと続ければすぐに見つかるかと思ったが、放送前の宣伝記事と和やかな感想と武蔵丸しか出てこない。試行錯誤したが私が求める内容はついぞ見つけられなかった。絶対一件目に同志をおちょくったまとめブログが出てくると踏んでいたのに、みんなみんな清らかに楽しんでいる。嘘だろ?

そもそも前作ファンが失恋とはなんだ、という話だ。物語終盤ではさくらちゃんと小狼くんの恋愛模様がしっかりと描かれ、最終回も彼との関係に基づいたハッピーエンド。もっと言えば第一話の時点から雪兎さんを想っていた。片思いであれなんであれさくらちゃんの心はずっと他の男のものだったのだ。

私も当時はそれを楽しんでいた。性格の良い雪兎さんと小狼くんはタイプではなかったが、好きな人に一生懸命なさくらちゃんはかわいいなあ、と知世ちゃんのような視点で見ていたのだ。なのに、今恋愛に積極的なさくらちゃんを見るのはとても辛い。ケロちゃんと一緒に邪魔をしたくなってしまう。

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知世ちゃんのような、と言っても彼女のように「違う意味の『好き』」をさくらちゃんに向けていたわけではない。「違う好き」のくくりでいうと一番好きなのは月(ユエ)さんだ。私は女子校でオスカル様に騒ぎつつ文化祭では他校のフェルゼンに色めく平凡な女なので、男キャラがいる環境ならば男にそういう萌えを見出す。

しかしそういう垣根を除けばさくらちゃんがずば抜けて好きなのだ。

この傾向は『さくら』だけではない。『キューティーハニー』も主役が一番好きだったし、『セーラームーン』は『セーラーV』から入った経緯もあって美奈子ちゃんがかわいくて仕方なかった。『遊☆戯☆王』のキング・オブ・「違う好き」は表マリクだったが、最推しはブラック・マジシャン・ガールだ。同時期「『違う好き』の対象ではない女の子」として大好きなキャラクターはさくらちゃん以外にもたくさんいた。そしてこれは単なる「女児あるある」であり、上にも書いたとおり私にビアンの資質があるとかいう話ではない。

けれど、今の私は確かに毎週失恋している。この喪失感が失恋でなければ何なのか。「違う好き」でなかったとしても、それに類する感情をいつの間にか私も抱いていたのだ。確かに恋だった。

なぜさくらちゃんへの想いがこんなにこじらせたものになってしまったのか。なぜ「違う好き」を向けるファンに同志が見つからないのか。

おそらく、私はさくらちゃんの永遠性に恋をしていたのだと思う。身も蓋もないが「永遠の小学生なんだ!」がどうしようもない本心なのである。

永遠の小学生、永遠の優しい女の子。私は「永遠」に焦がれる女児だ。「永遠」のない現実に見切りをつけ、二次元に逃げている。さくらちゃんは私にとって「永遠」の象徴であり、拠り所であった。

そして「永遠」を求めるのは珍しいことではない。何かしらに勝手にその価値を置き、勝手に「裏切られた!」と喚くのもままあることだ。テレビの前で直感的に思った「みんなそうだ」の「みんな」とは「さくらちゃんファン」ではなく「『永遠』に執着した者」だったのではないか。

当時同年代だった二次元の女の子。そんな彼女から「永遠」が失われてしまった。見た目はさほど変わらず、せいぜい世界観にスマホが導入されたくらい。しかし確かに進学し、苦手な科目は算数から数学となり、「もう中学生だし『はにゃ~ん』はやめる」なんて言い出し(「ほえ~」がいいならいいじゃないか!)、小狼くんにもぐいぐいアプローチする。

これは堪えるわな。

 

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クリアカード編』EDのフレーズ。ここでも毎週呻く。

原作が終了してから18年。考えたくもない仮定だが、そのまま年を重ねていたらさくらちゃんは……。これは極端な例とはいえ、18年後の世に再び羽ばたくとなったら何かしら変化はあっても当然だろう。

辛い。

それでも、見たい。懐かしのあの人この人がさくらちゃんのため陰ながら奔走する胸熱展開。畳に正座するシュールな月さん。花江夏樹の執事。そしてレギュラーの桃矢お兄ちゃん(CV:関智一)。見ないという選択はハナからない。最終回まで心を強く持って見届けるほかないのだ。

そして一時停止と瞑想を道連れに、今週もさくらちゃんに失恋する。